数日前にこのアトリエに訪れたときは真っ白だったカンバスはバレエの衣装を身にまとった少女の立ち姿が描かれている。どこか遠くを見つめる意志の強そうな瞳、一文字に結ばれた唇、上がりきらない頬など、美しく、それでいてどこか切ない表情は鮮明に描いてあり、衣装はバレリーナにしては質素なもので、少女の膝下あたりからつまさきにかけては背景と調和するようにぼかす技法が用いられている。暖色を基調とするそれは描く人の性格とはまるっきり逆の路線を行っているように見えた。
「この子、生きてるの」
 何の気なしに尋ねた。筆を動かす手が一瞬止まったように見えたが、わたしに向けられたままの背中は微動だにしない。
「ああ」
 イエスともノーともつかない、ただ返事をするのが面倒だというような答えは浅丘の口癖であった。上唇とした唇の間に空気の通り道をつくり、軽く喉を鳴らす程度に息を吐けば、その音は出た。
「足元がぼんやりしてるから幽霊みたいに見えた」
 思ったままの感想を述べると、浅丘はパレットと筆をサイドテーブルへ静かに置いた。
「あんたにそう見えるなら、それでいいよ」
 浅丘は首にかけたタオルで額の汗をぬぐった。
 
 荒れた指に選定された絵の具のチューブからでてきたのは黒。浅丘は筆の穂先を丁寧に扱って黒く染めた。そしてそれでカンバスに大きく二本の線を入れた。右上から左下へ、それと交わるように左上から右下へ。
「失敗作」
 浅丘は筆をパレットに置いてアトリエを出て行った。開けっぱなしの扉がか細い音をたてて揺れている。
 大きなバツをつけられたその少女の瞳が光って見えたのは、差し込む西日に照らされていることだけが原因でないと思う。
 わたしは黒い線を指でなぞり、それを拭いとるためのものを探した。

 

に殺されて (title by 楽田様)

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