シンプルなオープントゥのパンプスから覗くつまさきは日に焼けていない不健康なほど白に近い肌色、花柄で落ち着いているながらも細心の注意が払われたその愛らしい衣服と華のないそれは、ファッションに疎い僕の目から見ても不釣り合いであった。
 和佳が異常なほど服装に気を遣っているのは今までの彼女のいでたちの変遷からよく知っている。決して派手ではなくましてや流行り物が好きというわけでもない、彼女は自分のセンスの良さを信じて疑わず、好きなものを好きなときに着ているのだ。それでいて時、場所、目的、いわゆるティーピーオーを弁えている。帽子はもちろん、時計や髪飾り、鞄や靴下に至るまで細部にこだわる彼女のことを、周囲はおしゃれと買っている。
 高校時代からの友人なので、和佳がそう褒められると僕もなんとなく嬉しい気分になってしまうのだ。笑顔の裏で和佳がどんなに神経質になっているかを知っているから、余計に。一度気に入ったものはなかなか離さないし、あまり時間をかけないときもあるようだが、自宅でファッションショーを始めると止まらない、と本人が話していたのを記憶している。

 お茶でもしないかと誘ったのは僕だった。金曜は僕と和佳が同じ講義を取っている唯一の日で、何かと恋愛にこじつける集団の中で、人気のある彼女と話すためのお誘いはあくまで自然に、何かの序でにこなさねばならなかった。
 和佳はバラ模様で彩られた茶色い七分袖のワンピースに丈の短いデニム地のベストを羽織っている。全体のシルエットはそれこそ講義を受ける数多の女子と変わらないが、やはり似て非なる。素材の質感や細かなラインが幼稚でなく落ち着いた女性のオーラを醸し出す。花柄の一つ一つが安っぽくない。すべてがオーダーメイドのようなフィット感があるのだ。
 否、サイズの問題でない。和佳という人間が内面からつくりだした――そう、犬の毛皮のようなものだ、服装が和佳の一部なのである。
「あつそうね」
 効きすぎた冷房の中、和佳が僕のホットココアを指差す。
「そんなことないよ」
「そう?」
 無邪気に首を傾げる和佳に、寒くないの、と訊き返すと彼女は、平気よ、と七分袖をまくってみせた。
 グリーンティーに添えられた生クリームを溶かす和佳の笑顔と一緒に胸元のチャームが光る。ただ露出の激しいだけではないし、肌を全部隠している訳でもない。冷房への配慮もあり、それでいて肌見せも忘れない。このいでたちに懸ける配慮こそが彼女を真のおしゃれとして確立させているのだろう。
 そんな和佳に比べてこの僕はどうだ。
 男女の差があるとはいえ、おしゃれに無頓着でいたくない、寧ろこだわりたい願望はあるのに、和佳のような己の欲と状況をともに叶える格好ができない。
「和佳、いつもおしゃれだよね」
 火傷しない程度にココアを口に含み、マグカップを机にトンと置いた。
「清水くんも充分かっこいいと思うけど」
 和佳は、用語とか知りすぎてて怖いけどねえ、と先ほどよりいくらか小さい声で付け加えた。自分がおしゃれであるという件を否定しないところが彼女らしい。
「和佳は、いいよ」
 僕自身の口から出た思わぬ言葉に、身体中に電気が走る。これはきっと動揺、それか後悔。
 でも和佳は僕が思うほどそれを暴言と思わなかったらしく、ゆっくりと首を横に降りながら同時に右手首もゆっくり動かして生クリームを溶かした。
「そんなことないわ」
 和佳は、そんなことない、と自分に言い聞かせるようにもう一度口にした。そして一口、甘ったるさはココアといい勝負であろうグリーンティーを飲む。

 今まで気にも留めなかった店のドアに取り付けられたベルの音がはっきりと聞こえる。それだけじゃない。窓際に座る男女の談笑、女子高生の叫びにも似た笑い声、周りの音がいやによく聞こえるのは僕と和佳がつくる沈黙の小空間のせいだろうか。
 グリーンティー、それからココアが減っていき、何か話さなければという思いばかりが募る。しかしどんな言葉を口にすればよいのか、わからない。時計の針はせかせかと先を急ぐように思えたが、時間はなぜかゆったりと流れていくように感じた。

 グリーンティーが底をつき、それをすするストローが些か下品な音をズボとたてた。
「ごめん」
 ペロリと舌を出す和佳がちょっと可愛くて、不覚にも笑ってしまった。空気がやんわりと、和む。
「わたし」
 柔らかな表情で和佳が続けた。
「おしゃれじゃないよ、清水くんは気づいてるでしょ」
 和佳は足を椅子の脇にだしてぷらぷらと振ってみせた。自然とそちらへいく視線、あのつまさきのことを言っているのだと理解する。
「ある色のペディキュアしたくてサロンに行ったの。でね、そこでイメージを伝えた。そしたら店員さんがカラーサンプルを持ってきて、それはどの色ですか、って訊くのよ。わたし、答えに困っちゃって、それでケアだけしてもらって帰ったの」
 微笑んではいる和佳、しかし何だろう、和佳の笑顔に少しばかりの影をつくるものは。
「ああいう人たちって、やっぱりお客さんのイメージをいかに汲み取るかが重要なのよ。だから細かく訊いてくれたんだと思うのね」
 一旦言葉を切り、和佳は僕の、うん、という相槌を聞くと、話を続けた。
「夕焼けの茜色、快晴のライトブルー、夜明け東雲の紫色っていうふうに、空の色って淡い青色だけじゃないのよ。空色っていったらそうかもしれないけど。水色とか肌色とかもそう」
「そうなんだ」
 曖昧な言葉を返して、その不自然さを隠すようにココアを飲み干した。和佳が膨れる。
「あつっ」
 一転してキャハハと女の子らしく笑う和佳。やっぱりあついんじゃない、とでも言うかと思ったが、彼女は意に反した言葉を僕にくれた。
「やっぱり、清水くんって可愛いね」
 さ、行こう、と促されて僕は席をたつ。同時にスカートのラインを整えた和佳に、ご馳走さま、と伝票を握らされた。
 ややずっしりとした重みに、そうとわかりつつ拳を開くと、案の定五百円玉が一枚ある。
 会計所で、僕はそれにココア代の三百二十円を足して八百二十円を支払う。
「細かいのね」
 横やりを入れてくる和佳を軽く睨むと、彼女はさっさと店の外へ出ていった。

「付き合ってくれてありがと」
 歪む空気の中、財布を参考書でいっぱいの鞄に埋めながら視線を合わせずに言った。
「駅まで一緒に行こ」
 腕をとられる。
「え」
 ちょっと驚いたけど悪い気はしなかったので振り払うことはせず、二の腕に温もり、鼻に柔らかい香りを感じながら駅までの道を歩いた。
「また、サロンにいってくるね」
 和佳がちらりと横を見て言った。視線の先には文房具屋があり、小学校の頃扱っていたよりも遥かに色の種類が豊富な色鉛筆のセットが売られていた。
「清水くんだったら何色にする?」
 小首を傾げる和佳、視線は既にぼくの瞳の奥をまっすぐに捉えている。
 ぼくはまだ明るい夏空を見上げて、パールオレンジ、と微笑んでみせる。 和佳がぼくの脇腹を、もう、と肘でつついた。


  

ィキュアはの色 (title by 月野あこ様)

 

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