身体にまとわりつく気だるい暑さはどこへやら、朝晩は冷え込み、日の照る間も程よい微風がスカートの裾をはためかせる季節となった。部活に精を出す夏が終末を迎えると、秋は寂しく、ひどく冷淡なものに思える。受験生、という単語がいやに重く聞こえるのは変わらないものの、入試日から逆算してカリキュラムを組むにしては半年が長く感じられて、机に向かう気力は起きなかった。
 定期考査を終えたばかりの授業、ことに社会科は、余談を交えながらだらだらと進んでいく。これはテストに出ないけど、と前置きされれば、以降は右耳から左耳へするりと抜けていってしまうものだ。
 ふと窓外へ目をやると、もう入ることのない夏の代名詞、プールが冷たそうな水を腹いっぱいに溜めていた。時折吹き下りる風がまばらに浮かぶ落葉を水面ごと揺らす。一年かけて緑に濁っていくであろう水は、まだ透明で、そこに映る寒空の雲の奥底に、こびりついた水垢が覗けた。淡い青は、塗りつぶされた内壁の色なのか、落ち葉が揺れる水の色なのか、それともトンボが横切る空の色なのか。
 ふと、あれに入りたいなあ、と思う。落ち葉もトンボも気楽でいい。
「川島」
 名を呼ばれ、意識が自分に戻る。初老というべき年代に差しかかってきた社会科教師がわたしを軽くにらんだ。口角は持ち上げられているが、目が笑っていない。
「なにを見とったんだ」
「プールだら」
 隣席の梅谷がわたしの代わりにしゃあしゃあと答える。
「べつに、ちがうし」
「なんで、おまえプール見とったじゃん」
「なんでもいいで、とりあえず集中しな」
 はあい。
 尾ひれを引くように返事をする。一応、しておく。
 容赦なく差す眩しい西日のせいでコントラストがうまく計れなかったのと、学級中の視線が集まっているかと思ったのとで、黒板はおろか、クラスメイトの顔すら見れなかったが、少し時間が経ったら慣れた。というより、どうでもよくなった。
 相変わらず授業は倦怠感を伴いながらゆるゆると続く。時計だけがせかせかと回る。
 また外を見る。プール。焦燥のない感じはここと同じなのに、一瞬足りとして同じものを見ることのできない自然は、風にたゆたい、陽光にまどろみ、自分たちの歌を歌っている。手にしたことのない自由が、あそこにはある気がした。
「聞いとらんかったやつ、おらんだろうな」
 黒板を叩く音が鈍く大きく二度響く。そろそろ、お怒りの様子だ。おそらく怒りの対象であるわたしに視線を合わせてこないわざとらしさが本気モードのそれであることを示す。
 梅谷がにやにや笑いを浮かべながらプールを指差して言う。
「そんなにプール好きなら、突き落としてやろうか」
 本望だよ、と心の中で悪態をつき、わたしは黒板の文字をノートに写すべくこの授業で初めてペンを執った。
 
 

 

にとびこむ (title by 椎名このみ様)

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