選りすぐりっていうけど要は寄せ集めなんだろ、と朔也の声がよみがえる。今頃、あいつは正門前で自転車にまたがって腕時計とにらめっこでもしているんだろうか。
 
 先生は最後のお話を手短にし、解散、と歯切れのよい声で言った。わたしは鞄を掴み、きゃあきゃあ騒ぎ立てる女子に笑いかけながら合唱用に段々になっているところを思い切り踏みつけて、わあわあ怒鳴り散らす男子に言葉かけながら重いアルミの扉を荒っぽく開け、さっさと音楽室を出た。
 毎年恒例のイベントを企画して、実行して、その委員長をわたしはそれなりにちゃんと務めたつもりだった。だから、去年や一昨年に同じく委員長を務めた先輩が委員にもらったという感謝の贈り物を、気が効かないなあといつもやきもきしていた委員に対しても期待していた。心の、どこかちっぽけな場所では。
 
「四時ジャスト! 意外と早かったな」
 映画監督がカットをかけるような仕草で朔也の手はわたしの前の空気を切り、お疲れ、とこちらへ延びてくる。
 朔也の笑顔が今は何故だか鬱陶しく感じられる。なんでこいつはこんなに明るく笑うんだろう。
 ぷいとそっぽを向いて、歩き出した。朔也の手は再び宙を漂い、落ちた。
 わたしは正門前の坂をつかつかと下る。金属の塊と朔也がシュウと軽やかに下りてきた。
「なに、怒ってんの」
 にやにや笑う顔が視界の端に入る。首をぶんぶん振って髪で視界を黒にしてやった。
「足音きついきつい」
 そう言われて、圧力を少し減らしてみる。お気に入りのローファーまで傷つける必要はない。
「まあ聞いてやってもいいよ」
 なんて言わなくても喋るつもりでしょ、と朔也は自転車から降りてわたしの隣を歩いた。
 冬。冷たい風が肌に刺さる。朔也はクシュンと身体に似合わない可愛いくしゃみをして、さみ、と片手で口もとのマフラーをくいと持ち上げた。
 しょうがないな。
 視線は前に向けたまま、肩に食い込むリュックを浮かせるようにちょんと跳び、飾らない声で尋ねた。
「いくつよ」
 三本たてられた指がわたしの前に突き出され、その指から腕、肩、首、顔まで見ると、にんまりと上がった口角があった。
 
 駅前のドーナツショップは、甘ったるい匂いと温さが冷えた心に優しかった。そこでハンドメイドドーナツを三つとココアを二つ買い、窓際の奥の席に着く。
「んで?」
 一つめのドーナツを早速口に入れた状態で、朔也の喉が鳴る。
 今から朔也に話します。そのことわりの代わりに、おいしそうに食べるね、と前置いてからわたしは今日のことを話した。
 
「えーと、簡単に言えば、企画の立役者のしいこになんの感謝もないのかって話?」
「なんかそれだと傲慢だよ」
 でもさ、あれだろ、と続ける朔也を見ながら、まあ、あながち間違いじゃないな、と思いつつ、ココアを飲み干す。暖房が効きすぎた店内で、ホットドリンクを注文した三十分強前の自分がうらめしい。ちょっと入りこんだ話であると朔也には雰囲気でも察してもらいたかったから、お冷やをもらいに行くのはずっと控えていた。できればアルバイトの女の子か、もうパートのおばさんでもいいから水を持ってきて欲しかったけど、そこまで気が回らないのか、はたまた回り過ぎてこちらの空気を感じ取っているのか、よくわからないけど客として相手にしてもらえてないのは、隣のテーブルの親子連れのグラスになみなみと注がれる水を見ていればすぐに気付けることだった。
「しいこ、頑張っちゃうからな」
 皿についた粉砂糖を残らず絡めとるようにドーナツを踊らせ、朔也はぽつりと呟いた。
 しいこ。しいこというのは、彼だけのわたしの呼びかた。今時、そんな古風な呼びかたはどうか、と学友たちは口をそろえて言うけれど、わたしはこの呼び名が気に入っていた。響きがいい。発音がいい。何より、しーこでもしぃこでもない、朔也の呼んでくれる「しいこ」という唇の動きが初めて呼ばれたときからわたしの心を掴んで離さない。
 頑張っちゃう。朔也の目には、一生懸命になることって馬鹿馬鹿しく映っているのだろうか。そんな言いかただ。
 でも慣れては、いる。それも知って、だからこそ、朔也にはなんでも話せるのかもしれない。
「サプライズにサプライズとか、ドッキリにドッキリとか、流行ってんだよね」
 ほら、と朔也は一昨日のお笑い特番を例に挙げた。なるほど、と思わず頷かされる。ドッキリを仕掛けてほぼ被害者とも言える仕掛けられた人物の呆気にとられた顔や悔しそうな顔を目にし、観覧客の拍手喝采を浴びて有頂天になっている芸人に、違う誰かがドッキリを仕掛けていたことを番組放送中に暴露する展開。一視聴者としてはもういい加減に読めてしまう内容だけど、学校とか会社とかでやる分には感動的になること間違いない、と少なくともわたしはそう踏んでいる。いや、踏んでいた。
「ほぼ慣例みたいなもんなんだからさ、やれないことはないと思うんだ」
 わたしは、秘密裏にことを進めていたという事実が、仕掛けられた人間に幸福感を与えるのだと思う。同じクラス、同じ階、同じ校舎で生活する者たちの間にある秘密なんてのは、非常にもろい。だからこそ、その中で成立する秘密ごとがわたしたちの心をかきたてる。欲しがらせたり、嬉しがらせたり、するのだと思う。
「しいこが頑張ったこと、知ってるはずなのにな」
 自嘲的に笑う朔也。わたしのことなのに、なんで朔也が「自嘲的」なのかよくわからないけど、嫌な気はしなかった。
「あ、でも」
 二つめのドーナツを飲み込んでから、朔也は唇の端からモゴモゴと言葉を吐いた。
 しいこの頑張り、一番知ってんのは俺かも知んない。確かにそう言った。
「じゃあサプライズしなきゃいけないのは俺なんだ」
 え、と言葉を漏らすと、朔也は小首を傾げた。
「俺、なんか変なこと言ったか?」
「……ううん」
 そ、と顎を突き出すように唇を歪め、普通にすればいいのに、と朔也は最後のドーナツに手を延ばした。 
「え、そんな、いーよ、くれなくても」
 出来る限り女の子らしい笑顔をつくったつもりだったけど、朔也はわたしになんか目もくれず、甘い輪っかを慎重に二等分していた。
 はい、と手渡されて、それをもらわない理由が見つからなくて、ゆっくり口まで運んで、食べた。瞬間、ぽろりと崩れる。水分の無さが気にならないくらい、香ばしさと僅かな油っぽさがわたしに温もりをくれた。
「朔也がドーナツくれるなんて、めずらし」
 囃したてるように言うと、朔也はそれを笑い飛ばした。それは、笑ってなにかをごまかしているようにも見えたけど。
「もうひとつ、欲しい?」
「ドーナツもうないから」
 ココアのカップを口にあてて、傾けかけて、朔也はその手を止めた。
「俺、しいこのこと好きなんだよね」
 朔也のカップにこもってよく聞こえなかったけど、笑ったときに清々しいくらい綺麗に横に延びる唇から漏れた言葉はわたしの耳がちゃんと捕まえた。
 ここの温度か、ココアの蒸気か、それともわたしか、もしかしたら全部が、もう行こ、と立ち上がった朔也の頬をピンクに染めている。
 負けっぱなしはいやなんだよね、とわざと口をとがらせてわたしは朔也の飲み残したココアのカップに口をつけた。どうだとばかりに上目づかいで見上げると、ポケットに手を突っこんだままの朔也が腰を折るようにして、愛しい唇がわたしの耳元に降りてきて、なによりも甘いささやきを残し、すぐに離れた。
 椅子にかけたコートとマフラー、それから鞄を左手でかき集めて、すたすたと出口へ向かう背中を追いかける。
 店を出てから少し行った裏の路地の手前では、紅潮した顔でわたしを振り返る朔也と白い吐息と、それから約束通りのキスがわたしを待っていた。
「なんか、今日かわいいじゃん」
「そっちこそ、らしくない」
 急に恥ずかしくなってうつむくと、いいの、サプライズなの、と朔也はわたしの手をとって、また歩き始めた。

 

 

サプラ

あとがき    back

 

inserted by FC2 system