もう少しで届きそうな気がしたの

 

プロローグ


 中学二年生の夏。キャンプファイヤー。
 人生で二度目のそれは、わたしの手を引く彼により思い出の一つとして深く刻まれることになった。
 
 これより三十分間の天体観測を行います。各自、星の見えるところに散らばってください。
 何度も練習した言葉は予想以上にすらすらと口から出てきた。アナウンスし終わり、簡易マイクのスイッチを切る。
 ふっと一息つく前に突然、背後から右手を取られて膝ががくりと折れた。そのまま後ろに倒れるところを左肩に添えられた手によって救われる。
 
「ありがと――」
 
 そういいかけて言葉を飲み込む。
 もともと後ろから手を引くのが悪いんじゃないか。どうせ支えてくれた手も引っ張られた手も同一人物の者だろう。何もわたしが謝ることも礼をいうこともない。ちょっと損した。
 ひとまず体勢を立て直して、振り返る。すると日に焼けた少年がやや引きつった笑顔を浮かべていた。
 
「恭平」
「ちょっと来て」
  
 わたしが言葉を続けるのをさえぎって、彼はわたしの手を掴んだまま歩き出した。思わず、嫌、と声を漏らすと恭平の手に込める力がぐっと強くなった。
  
「離してよ」
「ごめん」
 
 先へ行こうとする後ろ姿が急に萎れたように見えた。
  
「ね、どうしたの」
「いいから」
 
 もう一度強く握られて、されるがままについていく。彼も理由を話したくないからこんな手段をとったのだろうと配慮してあげることにした。
 わたしの優しさは同じクラスの好か、実行委員会でのまじめな仕事ぶりを見てか、それとももっと別の感情からか。
 否、優しさなんかじゃない。胸に秘めていた淡い期待が現実のものになりそうな予感がしているだけ。ただのご都合主義のおばかさん。
 
 佐倉恭平に彼女と呼ばれる存在があることくらい、とっくの昔にわかっていた。だからはじめは特別な感情なんて抱いていなくて。
 でもそれを変えてしまうのが実行委員会マジック。
 つくりあげた行事への思い入れは強く激しく、消えることがない。おまけに五割増しで美化されて後世に語り継がれるという大それた特典も付いてくるものだから惹かれてしまうのは運命でも奇跡でも何でもなく、ただ必然であったのかもしれない。わたしが恭平に惹かれるのは二人が実行委員になったときから決まっていたように思うのだ。
 恭平の彼女は侑香という小柄な女の子だった。侑香とわたしはそんなに仲がいい訳でもなかったので、恭平と二人で放課後の委員会活動をするのに罪悪感なんてこれっぽちもなかった。
 周囲の子にはあることないこと言われたけれど、根拠のない噂だし、放っておいたら二日で消えた。
 
 恭平に掴まれた手首がじわじわと熱を帯びる。横目でちらりとみんなを見ると、天体観測とは名ばかりで、規則にがんじがらめにされたキャンプの少ない憩える時間となり、思い思いの過ごしかたをしているようだった。
 良心がとがめる理由もなにもないことに気付いたのが大きかったのか、反抗しようと込めた力はいつの間にか抜けていて、立ち止まるための一歩一歩踏みしめるような歩き方は、今や彼についていこうとどんどん前に出される。
 
 解散したとはいえ、炎を囲む人の輪は未だその面影が残る。その輪から外れ、林になっているところまで歩いてくると恭平はやっと力を緩めてくれた。それでもまだ繋がれていることに、彼の独占欲の強さを再認識する。誰かがふざけて、恭平って束縛激しいんだぜ、と言っていたのを思い出した。
 でも優しいところもあるのだ。普段はもっと大きな歩幅でさっさと歩くのに、今はわたしが無理なく歩けるペースに合わせてくれていると思ったら素直にうれしい。
 
「どうかしたの」
 
 堅苦しいアナウンスよりもたくさん、今日のうちだけで数えても何度か使った言葉なのに、声が震えた。
 気付かないふりして白々しく訊いているけど、ほんとうは待っている言葉がある。
 
「空」
「え」
「リューセイ」
 
 思いがけない言葉に呑まれて恭平の指さすほうをみると、黒。その中を時折小さな白の塊がしゅうしゅうと流れていく。
 
「見たかったんだろ」
 ちょっと不機嫌そうな顔で恭平は自分の髪を荒っぽく撫でつけた。わたしは慌てて、うん、とうなずく。
 恭平は木に寄りかかり、上を見た。ぐいっと引っ張られ、思わず手を離してしまった。余韻に浸るかのように手が宙にとどまり、その刹那、静かに落ちた。
 ごめん、と言い掛けたところで、こっち、と手招きされて、同じように木にもたれる。後頭部を幹にコツンとぶつけると、ちょうどいい角度で空を見ることができた。
 
「やっと落ち着けたな。実行委員とかなんとかいってばたばたしてたし」
「そうだね」
 
 フウッと息を吐きだした。恭平の横顔を見ようとして――彼の身長が高くなっていることに気付いた。自然に見上げてしまう高さにある。
 
「背、伸びたんだね」
「郁未よりは」
「そっか」
 
 これからは離れていくことばかりなのかと思うと、少し切ない。卒業は解放だと思っていたけれど、当然のことながら別れでもあるのだから。
 
「よかったよ。郁未のほっとした顔見れて」
 
 不意にこぼれた恭平のつぶやき、炎からは遠く離れているはずなのに頬が火照るのがわかる。
 なんでこんな恥ずかしいことをさらりと言えるんだろう。よくわからない。
 
 その後は恭平が何も言わないので、わたしも静かに星を見ていることにした。きっと他の誰よりも忠実に天体観測をしているだろう。
 やっぱり恭平のことが好きかもしれない。好きだと認めたら負けたことになってしまいそうで嫌だけど、一緒にいたい。他の子と話している姿を見ると、いらだちを覚える。わたしも混ぜて、かまって、と思う。今まで気付かなかっただけなのか。
 でも今はとりあえず、時間が許す限り、こうしていよう。
 
「あ」
 
 声が重なる。二人、共有する視界の端を、星が一つ二つと落ちるように流れて、流れては消えていく。
 都会ではほとんど見られないけれど、先生の話によると山村ではわりと頻繁に見られるものらしい。その速いことといったらなくて、願い事を三度も唱えるなんて到底無理な話であって。
 でも、いつもまじめくさった堅物だから、たまには可愛くて健気な乙女を演出してもいいだろう、と思った。指と指をからませて、顔の近くまで持ってきた。そして次の星が現れるのを待つ。
 
「なんか、願い事すんの?」
 
 にやにやしながら訊いてくる恭平と素直に目を合わせきれないまま、わたしは、内緒、と目をつぶった。
 地に降り続ける星々に、わたしは二つ願いごとをした。キャンプファイヤーの中に天体観測のプログラムが組み込まれた時点で、考えておいたものだ。人はそんなわたしを用意周到と言う。
 部活で結果も思い出も残せますように。
 キャンプが無事に終わって帰れますように。
 
 願い終わって目を開けると、隣の恭平は神社の参拝客みたいにしっかり手を合わせて、目を閉じていた。唇が微かに振動しているあたりから、なにかをつぶやいているらしい。
 じゃまをしたら悪いだろう、と彼のそれが終わるのを待った。
 
「恭平は、なんのお願いしたの?」
「言わない」
 
 屈託のない笑顔を向けられて、わたしの心臓がトクリと大きく打った。
 また二人で星を見る。恭平の表情が気になって仕方がない。以前、ともだちに言われた言葉を思い出した。
 ――それ、絶対恋だよ。間違いないって!
 
 恭平、好きかも。
 今は、叶えてもらうことが目的なのではなく、願うことがしたい。
 彼女がいるとか片思いとか、そんなことはどうでもいい。恭平のこと好きになれたなら、そのままどんどん溺れて、溶けてしまいたい。恭平と一緒になりたいんだから、いいだろう。彼氏とか彼女とか結婚とかじゃなくて、もっとフランクにアバウトに、隣にいるだけでいい。
 それが好きってことなの?
 ああ、もうよくわからない。一人で暴走しているわたしが怖い。なに、なに、なにがしたいんだろう。
  
「郁未さ、もう魔法のランプに頼ったほうがいいんじゃない」
「なんで」
 
 恭平は、欲張りだから、と笑った。わたしがなにを考えていたのかなんてわかるはずもなくて、わたしの思いになんて気付くはずもなくて、ちょっと安心したけれど、どこかもどかしい思いもあった。
 あいまいに、そうかもね、と同意したとき、ちょうどまた星がきらめき、落ちた。チャンス。
 慌てて頭の中で文字のテロップを回す。さすがに三回転は間に合わなかったけれど、念ずれば通じるはずだと信じて。
 恭平と一緒にいられますように、と、くるくるくる。
 
「ま、星もいっぱい流れてるし、たくさん願っとけば」
 
 ちょっと寂しそうに笑う。恭平はいくつお願いしたんだろう。
 
 そろそろ戻ろう、と言われ、わたしにほんの少しの甘えられる勇気があれば横に振っていた首を、縦に振って、行きとは逆に、先だって歩いた。
 恭平が後ろからついてきてくれていることは、草を踏みしめるサワサワという音で十分に感じ取れた。
 さっきみたいに腕でもいいから手を握ってくれればいいのに、と思ったけれど、そういう訳にもいかず、ただの実行委員で責任感に追われて誘い合って早めに戻ってきましたよ、という顔をして二人、炎を囲む輪に戻った。
 
 キャンプファイヤーはもとより、キャンプの間中、わたしは視界の端に必ず恭平を捉えるようにした。
 それが無理なくできたのは、もしかしたら、今までも同じようにしてきたからかもしれないけれど。そう、無意識のうちに。
 

 
 
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